昨日は息子が振替休日だというので、平日に西伊豆で釣りを楽しむというぜいたくをした。日曜日の夕方、込み合う上り線を横目に伊豆に突っ走る爽快さったらない。暗くなる頃に山の家に着き、二人で簡単な夕食をとって温泉につかり、明日は4時半起きだ!と早めに床につく。
翌朝は昨夜の雨はあがったものの、風が強く、ボートを積んでいくのはやめにしてまだ暗いうちに出撃する。西伊豆の小さな堤防に到着した時はまだ暗く、寒いが、仕掛けを海に投入してクルマの中で当たりを待つという贅沢というか怠惰な釣り。そのうち日が昇ってきてすこしずつ暖かくなってきた。
予想に反して手こぎボートやカヌーで釣りをする人もちらほら。こんなことならボートを持ってくればよかったね、と言いながらも我慢強く待つとすこしずつ息子が魚を釣りだした。
最終的には私の仕掛けに小さなタコがかかり、なんとかクーラーの片隅に一匹ゲット。息子は、よいサイズのメゴチ、キビレ、カワハギ、そしてなぜかワタリガニをゲット。数は釣れなかったけれど、なかなか多彩なな夕食となった。
さて、タイトルの新記録だが、釣りの話ではなく、その後の帰宅までの時間。食後にささっとお風呂に入り7時半に山の家を出て、真っ暗でほとんど誰も走っていない十国峠から箱根新道を通り、小田原厚木道路 - 東名 - 首都高と乗継いで江東区の自宅駐車場に滑り込んだのが9時。なんと1時間半しかかからなかった。それも、小田原厚木道路は90km/hちょっとでクルーズコントロールを効かせていたので私を追い越したクルマは何台もいたのだ。(東名と首都高では誰にも抜かれなかったけれど)
脱メールの時代に入ったと思い始めたのはずいぶん前になる(拙記事「メールはファックスだった - Part I. -」参照)。メールというものが便利なツールだと認知され、プライベートでも仕事でもかなりの人が使うようになったけれど、コミュニケーション手段は新しいツールが世に現れながら少しずつ変わっていく。
キーボードや携帯電話のキーで文章を入力するという操作ができる人にとって、メールは便利なツールだ。相手からメッセージを受け取るのをインプット、相手にメッセージを届けるのをアウトプットと呼ぶとすると、インプットとアウトプットの比率は50:50から大きくはずれないのではないか。
と書くと、「インプットの方が極端に多い」という人がいるかもしれない。そういう人の大多数はメールマガジンやスパムメールを勘定にいれている人や、仕事の場合ならいろいろなメーリングリストに入っている人かもしれない。
特定の人(通常は一人の相手)への連絡手段としてメールを使う場合以外は、他のコミュニケーション手段を使うことができるし、その方がふさわしい。Wiki、ブログ、SNSといったものだ。
数が多くなってくると、メールマガジンやスパムメールを無くす方向に動き、それらを送る相手はあまり好ましく思われなくなる。同時に、アウトプットをする側も別の手段、メディアに移っていく。郵便と同じ。そのようにして、通信手段は応用範囲が広がった後にその応用範囲が別の通信手段に移っていき、本来の目的のところが残るというような変遷をたどる。
ということでメールはとっくに電話と同じように「連絡」という役目だけに戻っているはずのだ。
しかし、次のコミュニケーション手段への移行には、受話器からキーボードへという道具の持ち替えとは違った壁が存在する。それは、一対一あるいはごく少数の相手とのやりとりではない場面で自らアウトプットするかどうかということだ。
ブログやSNSはさかんになっているけれど、メールを書く人でも次の段階としてブログやSNSでメッセージを書くようになる人はかなり少ないような気がする。コミュニケーションの相手として見ず知らずの人が入ってくる場面では、そうでない場面と比べてメッセージの発信に関する積極性が落ちると思うから。
ということで一足飛びに結論だが、脱メールをうまく進めるためには、よい聞き手、メッセージのよい受け手が必要なのだろう。知らない相手でも、自分のことをやさしく扱ってくれて、言うことを聞いてくれてうなづいてくれる。ちょうどよいポイントで質問したりして、さらにこちらの発言を引き出すというようなことができる受け手が。
私は今までこういう行動を「反応」というとらえ方をしていたので、従属的な行動として考えていたが、実はそうではなくて、主体的な行動として考えるべきなのかもしれない。つまり、メッセージの受け手ということそれ自身を仕事として考えるということ。
伝えられるメッセージの中身に対する応答ということだけではなく、むしろ、伝えるという行為をいかに盛り上げ、高品質なものにしていくかということを役目として認識することが必要なのだ。
たとえは悪いけれど、排水溝から水が流れていかなければうまく水は流れない。だからどんどん吸い込もう。たまには落ち葉や野菜くずや髪の毛で排水溝のふたがつまりそうになることもあるかもしれないが、それを取り除いてまた流れるようにするのも受け手の仕事と考えよう。まちがっても、落ち葉や野菜くずや髪の毛をここに流さないようにしてくださいなどと言わないようにして。
読んだ本をアイテムに載せられなくなって久しい。team voxによると、来月の16日に対策を施すのだという。事情はわからないがずいぶんかかるものだ。
これができないことでなんとなくVOXから遠ざかっていた。
メジャーではないけれど自分としては気に入っていて、洗練されている商品を選ぶ自分にもちょっと「エヘン」というようなところがあり、自分の生活に組み入れようという意識があったのだと思うが、明らかに状況は変わった。
これはちょうど、趣味でパンを焼き始めたお母さんの話と重なる。最初は自分で楽しむためだったが、友人に配ったりして評判がよく、これならできるかもということでパン屋を始めたお母さん、工場で作られるパンとは違う美味しさで店は大繁盛。一人では作れないので人を雇い、店も増やした。次から次へと売れる。お金も儲かる。ここへ来て最初の頃をすっかり忘れたお母さんは工場で効率的に大量にパンを作ることにし、企業家となっていった。
ここからは書くことは不要だろう。誰が間違いということではなく、こうして世の中は動いていく。特に経済原理が幅を利かせる都会では。
冬の間は元気のなかったライムポトスも夏はグングン育つ。植え替えた後に葉っぱが3つくらいしかなかった鉢ももうこんなに。
うまくいくプロジェクトはプロジェクトマネージャが会議をしきったり、顧客とのコミュニケーション役を務めたり、進捗や課題の管理をやっていればなんとか進むし、うまくいかないプロジェクトでもプロジェクトマネージャ氏がいろいろとがんばることで立て直したりできるのだろうが、そういうのは厳密な意味でのプロジェクトマネジメントをやっているわけではなく、いわゆる、「プロジェクトをまわす」行動をしているだけだ。
なぜそう思うかと言うと、プロジェクトマネジメントの教科書に書いてあることをやっているわけではないからだ。SPMの10ステップから見るとなおさらそうだ。計画を作り、その通りにことを運ばせることこそがプロジェクトマネジメントの本質であり、計画と実際との差異の少なさがプロジェクトマネージャの腕の見せ所なのだから。プロジェクトをなんとかまわすというのは、そういう仕事をやっているのであって、それはプロジェクトマネジメントがうまくいかないところを別の仕事でカバーしているにすぎない。
ポトスの葉を見ながらふと思った。プロジェクトマネジメントは、伸びていくポトスの姿を予測し、常時葉の数を数えるようなもの。そういう実に細かな作業を計画から遂行段階まで地道に行なうことなのだ。
どんなに草花の栽培が好きな人も、それを商売にしている人でも、葉の数を予測し、実際に葉の数を毎週数えて記録するというようなことはまずやらないのではないか。そういう誰もやらないような緻密な作業を、草花の栽培をすることを他の人に任せて葉の数を数える人がプロジェクトマネージャなのではないだろうか。
Structured Project Management、略してSPM。
PM界広しといえども、ダブリン発のこれを日本でやっている人はほとんど私一人だ。それだけマイナーなPM方法論と言えるが、きちんと実行できればこれほどパワフルな考え方はない。
いろいろな人に話してきたけれど、今ひとつピンとこないようだった。長い間それで悩んできたけれど、今回は初の試みとしてプロジェクトの例をとりあげて解説することにした。まだ第一話しか掲載していないが、このブログを見てくださっている方にはぜひコメントをいただきたいなあと思う。
http://www.collaboproject.com/SPM.html
(この解説ページの次に、「事例で学ぶSPM」というページがあります。)
外を歩いていて、木々の間から風が吹いてきて、頬にあたった時などによく、子供の頃の特定のシーンが頭に浮かび、ああ、この風はあの時と同じだ、あの時の匂いだと思うときがたまにある。
思い出す過去は大抵、小学校低学年。いつも買い物に行っていた食料品店のパン売り場の匂いとか、その頃住んでいたところの窓から入り込んでくる風だったりする。なぜ小学校低学年と言えるかというと、私の家族は私が小学校5年生になるまでほぼ2年弱のペースで転勤し続けていたからだ。だから、浮かぶシーンが出雲の家の周りだと幼稚園、大分だと小学校1,2年という具合に特定できる。
小学校の中後半になると、普通の記憶としてある程度覚えているが、逆に、風が思い出させてくれるというようなことはないように思う。なぜだろう。
そういった予期せぬフラッシュバックとは別に、意識的に思い出せるシーンがいくつかある。お土産にもらった近所の人が撃ったというキジが台所に置いてあり(昔の家は台所にはご用聞きの人が出入りするためか外への扉があった)、母親が途方に暮れている図(大分県中津)、アルミの小さな紅茶ポットにたっぷり入れられた紅茶の葉にお湯が注がれてはふくれあがり、落ち着いたらまたお湯が注がれ、紅茶のいい香りがしてくる図(これは大阪か)、家の前の真っ暗な(自分の手も見えないほど)グランドの、横の田んぼに近いあたりに乱舞する蛍(これは出雲)など。
これらは写真があるわけではないので、繰り返し思い出して記憶が固定されたのだと思う。アルミの紅茶ポットなど、ちっぽけででこぼこだらけで安っぽいものだったけれど、これで家族の分の紅茶が入り、ティーバッグでなく普通の茶葉で時々飲んでいたのだ。私にとっては、ささやかな幸せの象徴のようなシーンだ。
さらに古い記憶は、私の生まれた土地、岐阜県大垣の川。木の棒にひもを結び、その先に葉っぱをちぎったやつをつけて蛙を釣る遊びをしていたその川と周囲の濃い緑の図。生まれてすぐに東京練馬に引越してそこで3歳上の姉が小学校に入ったから、この記憶は3歳±0.5年だ。きわめてかすかな記憶だけれど、写真からではない記憶だ。
人間の脳にはこうして、いやもっと膨大な過去の記憶が蓄えられているのだと思う。かすかだし、連続していないし、インデックスもないので検索には引っかからないものがたくさん。
最後の瞬間には、せめて1秒間、脳にすべてのエネルギーを集中させて、それらを思い出したい。きっとそれはできるのだと思う。
その後いつの頃か、伊豆の山荘に置いてあるタンノイに主役の座を奪われ、5.1chのリヤとして古屋の壁に貼り付いていたのだが、経年変化に加えて山の湿気にやられてエッジが金魚をすくい損なったモナカのようになってしまっていた。
そのままの姿で事務所に運び、ファンテックからエッジを購入して自分で張り替えてみた。写真はその後、友人からエッジ張り替えを頼まれた同形機が上に乗っている図。
修復後に片方のツイーターから音が出ないことに気づくという予期せぬ事態が起きたが、急遽中古のペアを購入し、今はエッジもなじんでよい音で鳴ってくれている。今頃は友人のReference 10も彼の家で自作の真空管アンプで鳴っていることだろう。友人も満足してくれるといいが。
これで少しレストアの喜びを思い出した。でも、横浜のアイツは今回のレストア費用の200倍は必要なのだ、ああ。
この記事を書いた日に、偶然、日経のSNS... read more
on おいしいパンを焼くお母さん